“ライフスタイルに変化を! ボトムアップのアプリ開発”

ユナイテッド株式会社
代表取締役社長COO
金子陽三

インタビュー: 2014/06/13

リーマン・ブラザーズ証券会社投資銀行本部にて金融機関の資金調達や事業法人のM&Aに従事。その後、米国シリコンバレーのVCドレーパー・フィッシャー・ジャーベットソンを経て、2002年インキュベーションオフィスを運営する株式会社 アップステアーズを設立。2004年に同社をネットエイジキャピタルパートナーズ 株式会社(現 ユナイテッド株式会社)へ売却。 2007年、ngi group株式会社 (現 ユナイテッド株式会社)取締役兼執行役COO兼投資事業本部長に就任。2009年2月より当社代表執行役社長を経て、2012年12月スパイアと合併し、ユナイテッド株式会社代表取締役社長COOに就任。

生年月日:
1976年
出身:
群馬県
出身校:
慶應義塾大学

- 学生時代の思い出で印象深かったことを教えてください。

男3人兄弟の末っ子として、中学を卒業するまで群馬県高崎市で育ちました。中学校まではサッカー部のキャプテン、成績もオール5、生徒会もやっているというちょっとイヤな奴でしたね(笑)。当時、高崎市内の中学生は全学校坊主頭が義務づけられていましたが、どうしてもイヤだった僕は反対運動を起こし、「人権侵害」を訴えて署名を集め、校則を変えさせました。お陰で1ヵ月後の修学旅行に男子は坊主頭じゃなく、全員伸びかけのスポーツ刈り状態で参加。これが中学で一番の思い出です。翌年から高崎市内の中学全校で坊主の校則は撤廃されたので、後輩たちには感謝してほしいくらい(笑)。でも先日、実家に帰った時に茶髪の中学生を見かけて、「変えなきゃよかったか?」と少し後悔しました…。

- 大学卒業後は証券会社→ベンチャーキャピタルと就職をされたのですね。

大学入学時の1995年は、windows95が発売されNetscapeが上場して、今後のネット業界の盛り上がりを予告するような年。コンピュータ教育が熱心な大学だったこともあり、最初の2年間は学校に泊まり込んでパソコンでウェブサービスをつくる毎日でした。ネットの進化が日々目に見えて感じられてのめり込みましたが、それで実感したのは「ビジネスにすることの難しさ」。大学3~4年ではひたすら経営に関する勉強をしました。大学生でも細かなデータが取れる「金融・債券市場」は研究対象としては一番面白く、金融の世界で生きようとリーマン・ブラザーズ証券会社に入社しました。優秀な人たちに囲まれたエキサイティングな職場環境でしたが、基本的なルールが決められたなかで差別化をする証券ビジネスに物足りなさを感じて1年で退職。新しい価値を生み出すビジネスをしたいと、シリコンバレーに本社を置くVCのドレーパー・フィッシャー・ジャーベットソンに転職し、シンガポールで働き始めました。全世界のオフィスで20名程度のキャピタリストがいて、アジア全域での投資活動を行うシンガポールオフィスには4人のキャピタリストがいましたが、日本人は僕だけ。日本の投資案件は全て僕のところに集まってきましたが、その頃の日本スタートアップ企業はアメリカのビジネスモデルのコピーばかりで「世界で一番になれる会社に投資をしよう」という投資基準を上回る会社を見つけることができず、投資委員会に上げることすらできませんでした。日本人として、中国やシンガポールの企業に投資するしかない状況が本当に悔しくて、何とか日本のスタートアップ環境に貢献できるような仕事ができないかと考えていました。そこでドレーパー・フィッシャー・ジャーベットソンも1年で退職し、帰国後にインキュベーションオフィスをベンチャーに提供する会社を立ち上げました。

- 最初からこのビジネスを目指したわけではなかったとか?

当初は少ない自己資金で細々とベンチャーに投資をしてコンサルティングをしていたんですが、自分のお給料を削って会社を運営する社長からコンサル・フィーをいただくことを本末転倒のように感じました。そんな時にある社長から「広いオフィスに引っ越すから、その一室で仕事をすれば?」と誘っていただきました。その時に自分が広い場所を借りればベンチャーの社長さんたちに使ってもらえる、その利用料で利益を出せばコンサルやサポートが無料でできると思い立ち、インキュベーションオフィスを運営する株式会社アップステアーズを設立したという経緯です。

- なぜスタートアップ企業を応援したいと思うようになったのでしょう?

僕の父は研究者でしたが、キャリアを積む過程で苦手なビジネスのこともやらざるを得なくなり、その結果ストレスで深刻な病気になって仕事を続けられなくなりました。それを見て、「人が自分の意志と努力で生きていける社会になるべきだ」という考えが僕の心の奥に深く刻まれました。日本のベンチャー企業が活発になるために不足しているのは、VCでも起業家でもなく、「世界に通用する会社」。Googleのような会社が日本から生まれないことが、経済的にも起業家環境としてもマイナスになっています。だからこそ僕はユナイテッド株式会社を日本を代表する企業に育て、世界で勝負できるようにしていきたい。その根底にはやはり、「意志と努力で生きられる社会」への思いがあります。

- 一番ご苦労された時期はいつでしたか?

ネットビジネスのインキュベーターとして創立した弊社の前身のネットエイジグループが、オフィス事業も包括したいと株式会社アップステアーズを2004年に子会社化。2006年に東証マザーズに上場した後、2008年9月にリーマンショックの影響で収益の見込が立ちづらくなり、会社を再建するために取締役であった僕が2009年から代表を務めることになりました。この時は会社をミニマムな状態にするための大がかりな人員削減もしなければならず、株価も底値になったので、ある意味大変な時期ではありました。でもその後、限られたスタッフで事業を立て直した時も苦労しましたし、投資会社から事業会社への転身を図った現在でも更なる成長のためには大変な思いもありますので、僕のなかでは常に今が一番難しいと感じています。

- どん底時期から右肩上がりに回復できたきっかけは?

2009年に僕が社長に就任した時はスマホが世に出回りはじめ、ネットの使い方が大きく変わるだろうという予感を含んだ時期でした。新しいプラットフォームへの変換期という大きなビジネスチャンスがある時期に、投資ビジネス会社から事業会社へ転換しました。当時モバイルの広告代理事業をやっていた子会社を吸収合併して事業の一部門とし、広告代理事業から広告プラットフォームとメディアをつくる側へ転換して、弊社の経営を担えるようになったことです。

- 社内で共有している考え方や文化はありますか?

現取締役会長CEOである早川率いる株式会社スパイアという会社が、同じグループ内で同じメディア事業を展開していたので、2012年に統合して「ユナイテッド株式会社」となりました。その時に決めたのは、「日本を代表するインターネット企業になろう」というビジョンと、「挑戦の連続により新しい価値をつくりだし社会に貢献する」というミッション。これはスタッフ全員が共有している思いであり、「日本を代表するインターネット企業であるために何をすべきか」「プロフェッショナルとして恥ずかしくないか」という意識を常に持つための行動指針でもあります。“チームづくり”の話をする時は、よくマンチェスターユナイテッドを例に挙げます(笑)。彼らは全員が世界に通用する一流のプレイヤーであり、それぞれのポジションを持ち、チームとしてゴールを決めて勝つことが最終目標。だから僕たちも一人一人が付加価値を持ち、スキルでも人間力でも実力のあるプロの集合体でいようと。採用の際も、そういうチームの一員になれる方という基準で選ばせていただきます。会社は教育ではなく仕事をする場所なので、新しく入ったスタッフにも手取り足取りで教えません。その代わり会社は、それまでの経験にないチャレンジングな機会を提供し続け、結果を出すための器を整えるというスタンス。社内起業プログラムも充実し、事業部の一環として会社をつくって社長になるケースもありますので、ステップアップできる仕組みは充分にあると思います。まだ人数的にもコミュニケーションが密に取れる規模ですので、普段交流しないスタッフ同士で行くランチ代を会社が負担したり、役員が社員と食事する仕組みがあったりと、フラットな関係をつくりやすいようにもしています。

- 現在の事業内容と今後の展開について教えてください。

大きく分けて、メディア事業とRTB広告事業の2つを展開しています。特にメディア事業ではスマホのアプリを企画・開発・運営をしており、きせかえコミュニティアプリの『CocoPPa(R)(ココッパ)』、広告媒体としてのスマホアプリ提供事業、キャリアマーケット向けのアプリ提供事業の3本柱です。今後はゲーム性の高いものよりも、CocoPPa(R)に代表されるライフスタイルを変えるサービスづくりを目指そうと考えています。弊社のサービスづくりに共通しているのは、スタッフのアイデアからボトムアップで商品ができあがる仕組み。今後もターゲットを絞り込まず、スタッフから“ふわり”と出たアイデアをサービスにつなげるような商品づくりをしたいと思っています。

- 起業を目指す方へのメッセージをお願いします。

まずは大学卒業後に大企業に入るもよし、学生起業もよし、正解が出る世界ではないので正直何をやってもOKだと思います。結果を出すためにはある程度時間がかかるので、早くから始めた方がいいでしょうね。「何をやるか」「誰と組むか」は非常に大事で、それが決まればスタートの合図だと思います。投資家として言わせていただくと、「自分がやろうとしている事業についていくらでも話せる人」は応援したくなる。そのビジネスについてよく考えていることがこちらに伝わってきて魅力的に感じますね。

- 影響を受けた本や言葉はありますか?

夢枕獏さんの『神々の山嶺』という本の最期にある、「足が動かなければ手で歩け。手が動かなければ指で歩け。指が動かなければ歯で雪を噛みながら歩け。歯も駄目になったら目で歩け。(中略)ほんとうにもう動けなくなったら、思え。ありったけの心で想え」という“ど根性系”の言葉は好きです。あと、大学の時の課題図書で読まされたバートン・マルキール著の『ウォール街のランダム・ウォーカー』という本には、「楽して金は儲からない」という基本的な考え方を教えてもらいました(笑)。

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