“「車いすの視点」でバリアをビジネス価値に変える ”

株式会社ミライロ
代表取締役社長
垣内俊哉

インタビュー: 2014/07/11

2009年立命館大学経営学部大学2 回生の時に民野剛郎氏とValue Added Networkを創業。2010年ユニバーサルデザインのコンサルティングを主な事業とする株式会社ミライロを設立、代表取締役社長に就任。第11回 キャンパス・ベンチャー・グランプリ大阪 ビジネス大賞、2013年「みんなの夢AWARD3」最優秀賞を受賞など受賞歴多数。同年一般社団法人日本ユニバーサルマナー協会の代表理事に就任。2014年日経ビジネス「THE 100 ― 2014 日本の主役」において日本を変える100人として選出される。

生年月日:
1989年
出身:
岐阜県
出身校:
立命館大学

- どのような学生生活を送られたのでしょうか?

私は骨形成不全症という骨が折れやすい病気で、今までに骨折を20回くらいして人生の1/5は病院にいました。私はいつも「魔法にかけられた」と言っていますが、今日まで歩けないこととずっと向き合ってきました。小中学校のときはそれほどでもなかったのですが、高校時代にいろいろと積み重なって「歩けるようになろう」という想いが募りました。リハビリや手術など、たくさんの手を尽くしました。でも結果的に歩けるようにはならず、挫折しました。ですが、仕方なく生きることだけはしたくなかったので「歩けなくてもできることを探そう」と思うようになりました。そして高等学校卒業程度認定試験(旧大検)の資格を取り、立命館大学に進学しました。ただ入ってみると授業が全然面白くなく、交際していた彼女とも別れて、モチベーションが下がったのを覚えています(笑)そんなとき、学費を稼ぐためにHPの制作会社で営業職をやり始めました。そこであれよあれよという間に、営業成績が社長の次にまで上りました。でもそれは私がすごかったからではなく、多くの営業マンの中で唯一、車いすだったから、お客様に覚えてもらえていたのです。そのとき社長に、「歩けないことをウジウジ言うな。営業マンとして覚えてもらえるというのはすごい強みだぞ。車いすであることに胸を張れ!」と言われたのです。その言葉がきっかけになり、「歩けなくてもできることを探す」のではなく、「歩けないからこそできることを探す」ようになりました。

- 会社を立ち上げたきっかけをお聞かせください

コンプレックス克服のため、将来できる家族のため、といった理由でいずれ起業したいと思っていました。自分の子どもができたときに、車いすだからこそできることがあって、行けるところがあるという社会にしておきたいと思ったのです。そんなとき、偶然にも同じ想いの仲間と出会いました。そこからは、大学の教室の片隅で事業案や企画案などを必死に出して、たくさんの場所に持って行き、融資のお願いや営業をする日々。最初はなかなかうまくいきませんでしたが、数々のビジネスプランコンテストにて、車いすの視点を入れた私のアイデアに高い評価を頂き、賞金が300万円くらい集まったのでそれを資金に大学3年の時に法人格を持ってスタートしました。

- 初めての受注についてお話を聞かせてください。

始まりは、マンションの一室。最初は食べるのにも苦労する状態で、腹持ちする豆乳などを飲んでしのいでいました。おかげで肌がきれいになったくらいです。それでも諦めなかったのは、あの初受注があったからですね。忘れもしない、滋賀の彦根まで行って二度三度プレゼンして決まった案件。泣いて喜びました。そこから不眠不休で資料を作り、納品し、担当者が良かったと言ってくださったときは本当にうれしかったです。信じてきたものが認められ、間違っていないんだと思えました。そこから教育機関での実績もでき、認められ、商業施設の仕事が決まり、今ではそうそうたる企業や自治体からの仕事もいただけるようになりました。30年前なら誰も聞いてくれなかったはずですが、今や高年齢者が3,200万人、障害者が800万人近くいて、暮らしやすい社会を作っていこうという流れがある日本。東京オリンピック・パラリンピックが決定し、私たちが取組みやすい素地が整い、今まで以上に力を入れていこうと思っています。

- 社内にはどのような文化がありますか?

ミライロは社会的企業と見られがちですが、実はそういった思いで始めたのではありません。「儲けてやろう」、「将来一旗揚げてやろう」という人間ばかりが集まっている会社なんです。株式会社にしたのは数字にこだわっているから。以前は関西や東京のホテルを軒並み飛込み営業していたんです。お金がないので夜行バスで東京に来て、漫画喫茶に泊まって、スタッフは自転車を借りて、私は車いすで、飛び込み営業に明け暮れました。私たちの事業が社会にとって必要であるなら続けなければいけない、続けるためにはお金がいる、だから経済性が重要なのです。たとえば、ある商業施設では年間9万人の障害のあるお客さんがいて、そのほとんどの人は家族や友人と3~4人のグループで来ている。ということは、実質、27万~36万人に影響がある。この9万人にご満足いただき、増やすことができれば総来場者数も増えて収益になりますよと営業するんです。そうすると企業としても始めるきっかけになりやすい。テレアポだって今でもたくさんしていますよ。このバリバリの営業文化を大切にしたいと思い、入社したてのスタッフにもまず、飛込み営業をさせています。

- 今後の展開についてお聞かせください。

理想を実現するためにも、会社は儲けないといけない。その過程で上場して、優秀な人材を採用し、安心して働ける会社に成長させたいと考えています。車いすの私だからこそ目立っているのではなく、「最近、100億円稼いでいる会社が上場して、そこの会社は車いすらしいぞ」という目立ち方をしたいですね。ミライロのソリューションを導入すると儲かるのだと。あくまでもビジネスで勝負していきます。2020年の東京オリンピック・パラリンピックで日本のバリアフリーやユニバーサルデザインはすごいぞと思っていただきたい。そしてミライロは、日本のノウハウやコンテンツを世界に出していきます。

- ユニバーサルマナー検定について教えてください。

店舗のバリアフリーはいろいろな問題で限界があります。そこで「ハードは変えられなくてもハートは変えられる」をコンセプトに、ユニバーサルマナーという言葉で障害者やご高齢者のことを学ぶ企業研修をしていたことが始まりです。それが話題になり、個人の方も受けたいということで資格にしました。今、日本人は、障害者や高齢者に無関心か過剰かの両極端になっているので、その中間をマナーとして向き合っていくという考え方です。障害者を講師として養成し、その派遣を行なっています。雇用を作るという社会的意義の一貫でもありますね。

- これから仕事をする読者にメッセージをお願いします

「人生の長さは変えることができなくても幅は変えることができる」いつも社員に伝えている言葉です。幅を変えるきっかけはいくらでもころがっています。私は多くの仲間と出会って、いろいろなことで幅を変えることができました。そして自分の時間を自分のためだけに使うのではなく、家族や恋人、仲間や会社の上司のために使うことができる人は何倍も強くなれると思います。

- 座右の銘をお聞かせください

「すべてのことに意味がある」アメリカ先住民の言葉です。枯れ葉にも、また、死にすらも意味がある。私には障害があったから得られた機会がありましたし、出会えた人もいました。今思い返せば、そこにもいろいろな意味があったなと思えるのです。人は誰しもトラウマやコンプレックスを抱えて生きていますが、それにも意味があって、やがて強みや価値に変わることがあると思います。

- 「障害」の表記について

近年、障害の「害」をひらがなの「がい」と表記することが多くなってきました。しかし、視覚障害のある方に向けた音声ブラウザやスクリーンリーダーを使用した場合、「障がい」表記は「さわりがい」と読み上げることがあります。そのため、ミライロでは従来の「障害」表記で統一して使っています。

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