“「カフェ」を通じて提案する新たなコミュニティの在り方”

カフェ・カンパニー株式会社
代表取締役社長
楠本修二郎

インタビュー: 2014/12/01

早稲田大学政治経済学部卒業後、株式会社リクルートコスモス(現・株式会社コスモスイニシア)に入社。その後、大前研一事務所を経て、1999年スタイルディベロップ株式会社を設立。2001年にカフェ・カンパニー株式会社を設立し、東急東横線渋谷駅高架下に「SUS(Shibuya Underpass Society)」をオープン。「WIRED CAFE」「Planet3rd」など、58施設76店舗を運営(2014年5月現在)するほか、カフェや商業施設の開発/設計デザイン/プロデュースなどを手掛けている。

生年月日:
1964年
出身:
福岡県
出身校:
早稲田大学

- 生い立ちについてお聞かせください

僕は生まれも育ちも福岡市。玄界灘と博多湾に挟まれた、海の中道というところに住んでいました。近くには米軍基地があって、フェンスをくぐり抜けて侵入しては、見つかってつまみ出されたり(笑)。基地内には住宅も広がっていて、家々のペンキがはがれ落ちて何ともいえないいい雰囲気を醸し出しているんですよ。そこに西日が当たるとあたり一面がピンク色に染まる。この子どもの頃に見た景色や異文化に触れた経験が、今の僕に少なからず影響を与えていると思います。どこか懐かしい風景を作りながら、新しい息吹をもたらしていく。カフェのデザインをする際によく「経年性」という言葉を使うのですが、古いアパートを改装してカフェにしたり、高架下を利用したカフェを作ったりしたのも全てはそこに通じます。ミッドセンチュリーとよばれる1960年代頃のアメリカのインテリアデザインも大好きです。

- その後、大学進学とともに上京されたのですね

学生時代は企画サークルを運営し、さまざまなイベントを立ち上げていました。個性豊かなメンバーが集まり、実感したのが「人が動く」ことの面白さです。僕は中・高とサッカー部だったのですが、サッカーのポジショニングというのは必ずしも固定されたものではありません。前線と最終ラインをコンパクトに保ちながらも、ある時はバックスが攻撃に参加し、あるいは自分が犠牲になってチームの勝利に貢献する。お互いがクリエイティブかつフレキシブルに行動することによって、チームはまるで生態系のように動きだします。それと同じことが、人の集まる「場」にもいえるのではないかと思いました。「人々が共感でつながるコミュニティを作りたい」という思いが、ぼんやりと形になってきた時期ですね。

- どのような経緯で起業に至ったのですか?

「人が集う場作り」という漠然とした思いを形にするために不動産ビジネスを学ぼうと、大学卒業後はリクルートコスモス(現・コスモスイニシア)に入社しました。その後、ご縁があってマッキンゼージャパン会長であった大前研一氏の事務所に入所することに。それからは全国47都道府県を巡り、福岡と東京しか知らなかった僕にとっては驚きと発見の連続でした。日本にはこんなに多種多様な生活があり、言葉や食べ物、習慣といった地方独自の文化が根付いているのだと知ることができ、人の行動は場所や空間、雰囲気に良くも悪くも左右されるものだということも実感しました。たとえば何か話し合いをする時、そこが会議室であれば堅い議論になるし、居酒屋であれば白熱しすぎてケンカになることもある。そのような経験を通し、よりリベラルに語り合える場として学生時代に思い描いていた有機的なコミュニティを生みだす手段として飲食店の運営を考えるようになりました。

- その時立ち上げたのはカフェではなかったとか?

最初に手掛けたのはチャイニーズスタイルの飲食店です。厨房で鍋を振りながら、忙しさに朦朧とする頭で「これではただ仕事を“こなす”だけになってしまう」と感じました。目指すべきものは不動産業や外食産業といった業界でカテゴライズされるものではなく、食を中心とした生活文化によるコミュニティ形成。それがカフェだということに気付き始めたのが1990年代後半頃でした。そして2001年、カフェ・カンパニー株式会社設立に至ったというわけです。

- ご自身にとって「カフェ」とは?

僕たちの社名にもなっている「CAFE」は、単なるコーヒーショップをあらわすものではありません。CAFE=Community Access for Everyone。「みんなが集まるコミュニティの場」という意味です。カフェはそれぞれの地域のコミュニティプレイスであり、メディアの始まりでもあります。かつて世界の旅人達は、旅の途中でカフェに立ち寄り、さまざまな情報交換を行っては次の目的地を目指していました。そこからさまざまな文化や歴史、ファッション、食習慣、ジャーナリズムなどが生まれてきたのです。多種多様な人々が集まり、食事をしたり、お酒を飲んだり、話し合ったり。学生時代に海外を旅した時に体験した、マイアミの夕陽に照らされた海辺のテラスや、シンガポールの活気にあふれた屋台街…、それらもすべて僕にとってはカフェなのです。

- 社内に根付いている文化はありますか?

僕は、カフェ・カンパニーという組織を“すじこ組織”と呼んでいます。周りからは、もう少しかっこいい言葉にした方がいいんじゃないかと言われますが(笑)。現在76店ある運営店舗にはそれぞれに独自のスタイルがあり、個性あふれるスタッフ達がいます。一人ひとりの個性をイクラとするならば、その集合体が“すじこ”。イクラの粒が何故バラバラにならないかというと、それは同じDNAを持っているからですよね。僕たちのDNA、つまり実現すべき目的は、人がつながり、笑顔がつながり、次の時代に向けた新たなライフスタイルの提案をしていくこと。そのための手段がカフェ。新しい個性が加われば事業形態が変化していくこともあるでしょう。でも、僕たちを貫くDNAは決して変わることはありません。

- カフェの運営だけではなく、さまざまな事業を展開されていますね

コミュニティを形成するのが僕たちの仕事。その思いのもと、施設開発のコンサルティングや設計デザインなど、さまざまな事業を行っています。近年、コミュニティブランズという事業部を創り、カフェというリアルな場とメディアを連動させながら新しいムーブメントを作り、企業プロモーションにつなげていく企画を立ち上げています。サントリー食品インターナショナルと共同プロデュースした「伊右衛門サロン京都」をはじめ、今年の3月には鰹節専門店にんべんの「日本橋だし場 はなれ」をオープンしました。お茶や出汁といった日本の食文化を、それに伴う空間やファッションなどを含めて発信し、新たなライフスタイルの提案を行っています。よく「事業の多角化」といわれますが、多角化というのは読んで字の如くさまざまな角度に事業を拡大していくことです。一方、僕たちがやっていることは多様化です。カフェの運営企画も地域活性化事業もプロモーション事業も、根っこにあるのは「コミュニティの場を創り、ライフスタイルを提案する」ということ。実際、全ての事業は連動し、つながっています。

- 今後の展望についてお聞かせください

まず、国内においては地方への出店を積極的に行っていく予定です。都市部には都市部の、地方には地方のコミュティの在り方があります。地域の特性や文化をどうすればより魅力的に伝えられるかを考え、生産者と生活者をつなぐ場を作っていきたいんです。またそれは海外展開に対しても同じ。その地域の人々や文化とリスペクトし合いながら、多様なコミュニケーションの可能性を追求していきたいですね。さらに現在、業態としてのカフェにとどまらない、新たなブランドを立ち上げるための準備をしているところです。食と健康、音楽、ファッション、アート、インテリアなど、食をメインとしたライフスタイル全般への提案を広げたいと考えています。

- 起業を志す人へのメッセージをお願いします

『論語』に、次のような有名な孔子の言葉があります。「十五にして学に志し、三十にして立ち、四十にして惑わず」と。実は「二十にして…」とは全く触れられていないんですよ。僕はこの言葉を「20代は『三十にして立つ』ための訓練期間」ととらえています。この期間に経験を積む、言いかえれば良い失敗をすることが、その後において非常に重要な意味を持つのです。若いうちから目指すビジョンを明確にあらわすことは難しいものです。少なくとも僕はそうでした。だからとにかく自分のボーダーを超えるために思い切り振れ動いた。そうすると、上下左右に動いているうちに、それらが重なるある一点が見えてくるんです。振れ幅が大きければ大きいほど、その経験は知識となり、直感力や判断力を磨いてくれます。失敗体験は、必ずしもリスクを伴うものばかりではありません。たとえば飲食店に入る前には外観を見て、「あまりお客が入っていなそうだな」などと想像してみる。そして実際に足を踏み入れて店内が盛況だったとしたら、「なぜ自分の判断は間違ったのだろう」と考える。このような“疑似失敗”によって1日3回発見を繰り返したとすれば、1年間では約1,000回の経験の差が生まれます。日頃の意識を少し変えること、それが好奇心というものだと思います。

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