“地域に根差し、地域と生きる本質的に豊かな働き方を提案”

株式会社スマートデザインアソシエーション
代表取締役
須賀大介

インタビュー: 2014/10/03

1976年生まれ。明治大学で税務・会計を学び、株式会社システムインテグレータにてEC・Eラーニング構築のSEとして勤めた後、デザイン会社を経て、26歳で株式会社スマートデザインアソシエーションを創業。システムとデザインで企業を支援する。起業7年目からは地方に関する活動を開始。6次産業化支援の会社を立ち上げ、移住交流推進機構理事などを経験し、2012年に福岡県福岡市に移住。『福岡移住計画』代表として、地方でのあたらしい働き方、本質的な生き方をサポートしている。
公式Facabook『福岡移住計画
株式会社スマートデザインアソシエーション シェアオフィス『下北沢the Association
島根県雲南市『場づくりの学校

生年月日:
1976年
出身:
茨城県
出身校:
明治大学

- 生い立ちについてお聞かせください

元々実家はずっと魚屋をやっていまして、その後、居酒屋を営み始めました。そんな両親の姿を見て育ってきたことや、手伝いをしていた際に聞くことのできた中小企業の社長さんの話など、“商売”というものが小さい頃から身近にあり、自分もいつかは事業を立ち上げたいという思いを持っていました。高校生の頃は、授業そっちのけで飲食店の回転率や利益率のシミュレーションをしていたほど(笑)。子どもの頃に打ち込んでいたのは剣道で、小学3年生から高校までやっていました。剣道は、夏は暑く冬は寒く、おまけにすごく痛いので、忍耐力が身につきましたね。高校卒業後は、夜間の大学に進学。日中は営業マンなどの様々な仕事をしながら、夜は大学に通って勉強という生活を送っていました。当時は税理士を目指しており、大学3年からは専門学校にも通いながら会計や税務を学びました。この大学時代の社会経験や会計学で培った知識は、経営者になった後も非常に役立っています。

- どのような経緯で起業に至ったのですか?

実は、学生時代に一度「THE PLANETPLAN」というウェブメディアを立ち上げています。絵画や音楽などの創作活動をしている人達や、自ら起業している人を取材し、その人たちの創発的な生き方を紹介するウェブマガジンで、今でいうSNSの原型のようなものでした。起業とも呼べないような小さなメディア運営でしたが、よい経験となりました。大学卒業後は学んだ知識を活かして、会計系コンサルティングファームに就職。いずれは中小企業を支援する事業をやりたいと考えていたのですが、時代の流れや、メディアの運営経験もあって、ITコンサルティングに興味をもつようになりました。そこで、パッケージソフトウェアを開発する株式会社システムインテグレータにSEとして就職。その後、デザイン系の企業に転職してデザインやディレクションの基礎を学びました。起業を決意したのは、26歳の時です。システムとデザインの両方の経験を活かして、企業を支援する会社を思い切ってやってみよう、という感じでした。

- 創業当時はご苦労も多かったのではないですか?

当初はアパートの一室で、和室にちゃぶ台を置いてのスタートでした。はじめの1年目は私1人。2年目から少しずつスタッフも増やしていきました。それでも創業から4年くらいまでは、受注する仕事も孫請けどころか四次請け、五次請けが当たり前といった状態。言い方は悪いけれど火のついた案件も多く、当然お客さんの顔も見えません。伝言ゲームの仕事は、いくら一生懸命やっても終わりが見えないのです。当時は本当に悔しい思いを沢山しました。

- そんな中、大切にしていた想いとは?

私は、戦国武将の斉藤道三が好きなんです。斉藤道三を知ったきっかけは、司馬遼太郎の小説『国盗り物語』。主人公である道三は、一介の油売りから大名にまで上り詰めた人物です。そのハングリーで、自らの限界を決めない生き方に非常に魅力を感じ、自分もそんな風に生きてみたいと思いました。彼が掲げていた旗指物には、「二頭波」の紋が描かれていて、これは「波は押し寄せる時もあれば引く時もある」という意味です。ビジネスも同じように、勢いにのって進む時もあれば、ダメな時は引くことが大切。どうしてもうまくいかない時は、仲間と酒を飲んで、笑って忘れるようにしていました。(時には飲みすぎたことも沢山ありますが…笑。)しかし、チャンスと思えばアクセル全開で自分たちの限界を超えるようなことにも挑戦していこうと決めていたのです。

- 社内に根付いている文化を教えてください

起業して10年目を越えたあたりから理念を変更しました。私たちは「森のような会社」でありたいと思っています。森といっても人の手によって植林され、整備された森ではなく、原生林のイメージです。一面にコケが生えていたり、朽ちた木からまた新たな木が生えてきたり、さまざまな微生物や虫、鳥たちが共存し、調和している。それは本当に豊かで美しい姿ですし、そういう会社や社会を作っていきたいと思っています。ですから当社には、社長や誰かが作ったミッションに向かって全員が一方向に向かって走る、というビジョンはありません。それぞれのチームがそれぞれにやりたい方向に伸びていく。生きる場所というのも含めて「仕事は自分で創る」というのが当社のマインドです。

- ご自身は現在福岡にご在住なのですね

東京一局集中型の生き方や仕事のやり方に限界を感じていたこと、もっと地域に根ざした仕事を創りたかったことなどが自分の中にあり、震災をきっかけに、2012年に、約半年間スタッフとミーティングを重ねて、東京に会社を存続したまま、家族とともに東京から福岡に移りました。現在は東京と福岡を行き来しながら仕事をしています。東京の現場を離れるにあたり、会計を全てオープンにして、役員報酬の在り方を見直し、利益をスタッフと折半するなど、経営者が現場にいなくても、組織を継続していけるような様々な仕組みも作りました。ここに来て私自身本当に豊かな気持ちで暮らすことができていますし、価値観が180度変わったといっても過言ではありません。そこで、同じように地方に移住するクリエイターをサポートし、増やしていきたいと考え、「福岡移住計画」というプロジェクトを実施しています。今年3月には福岡市とのコラボレーションで「ぼくらの福岡移住計画2014 in TOKYO」というイベントも開催しました。東日本大震災後特に、ローカルで生きる、地方で働く、ということが注目されています。地方への移住を考える人の中にはクリエイターをはじめ、起業を目指す人や農業を志す人もいるでしょう。それらの人々が本質的な生き方を実現するためのお手伝いができればと考えています。

- プロジェクトの一つとして、シェアハウスをオープンされるとか

福岡に移住するきっかけとなったのが、福岡市から電車で30分ほどの距離にある糸島エリアを見たことです。透明度の高い海があり、山も近く、とにかく自然豊かな土地で、近年では移住者も多く、今とても注目されているエリアです。その糸島の芥屋(けや)エリアに、ゲストハウスとシェアオフィス付きのコミュニティカフェをオープンする予定です。現在は、福岡R不動産や糸島市と連携し、移住希望者がお試し移住することができる、「糸島トライステイ」を始めています。もう半分のシェアオフィス・コワーキングができるコミュニティカフェとイベントスペースでは、糸島でフィールワークなどをやりながら、ワークショップをやったり、地元の観光情報などを発信していければいいなと。最近では、都市圏から糸島を見学に来る人も増えているので、滞在しながら仕事ができるスペースも運営できたらと考えています。また九州大学の教授と連携して、“地域と生きること”を考える「ジモト社会学」というプログラムもスタートさせました。この糸島の地に根差し、豊かな暮らしを楽しみ共有する場にしたいと思っています。

- 今後は他の地域でも展開されるのですか?

この地方への移住をサポートするプログラムは、『京都移住計画』から始まりました。現在、私たちは福岡を中心に行っていますが、全国からノウハウの提供やコンサルティングを依頼されることも増えており、ほかにも茨城、島根、宮崎などの地域にも拡大しています。今後は、さらに地方を活性化するために、人材事業や不動産事業などを組み合わせたり、福岡の地の利を活かしてアジアとも連携し、元気な人や場所を創る事業を積極的に展開していく予定です。

- 起業を志す方へのメッセージをお願いします

まずやってみること。困難に決して心折れず、自分を信じて突き進むこと。なので、他人から受けるブレーキになるようなアドバイスや心配はありがたく頂戴するも、やりたければやったほうがいいということですね。私の場合もそうでしたが、基本的に他人は「無理だ」と言うかもしれません。しかし、人生は一度きりですから、周りからいろいろ言われても、それに負けずにまず一歩踏み出してみる。すると視界が開け、前進する力がついてきます。たとえ失敗したとしても、それは自分にとって糧になるはずです。でも実際にやってみないことには、希望も後悔もありません。ですから、やろうと思うならやってみること。多くの起業家の方が同じことを言うと思いますが、私も実際に起業して今強くそう思います。

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