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シックス・アパート株式会社
代表取締役
古賀早

インタビュー: 2014/05/09

東京外語大学イタリア語学科卒業後、トヨタ自動車株式会社に入社。その後ロータス株式会社、日本IBM、インテュイット株式会社など外資系ソフトウェアの営業畑を進む。インテュイット執行役員時代にMBO(マネジメント・バイアウト)に参画し、弥生株式会社執行役員を経て2004年からシックス・アパート株式会社に参画。執行役員として、主に営業とマーケティングを統括。2014年1月1日に取締役に就任し、2014年4月1日、代表取締役に就任。

生年月日:
1965年
出身:
福岡県
出身校:
東京外語大学

- どのような子ども時代を過ごされましたか?

生まれてすぐ福岡から千葉へ引っ越して、まさに『二十世紀少年』の世界そのものを体現していました。駄菓子屋でお菓子を買って、空き地の秘密基地に仲間とマンガ本を持ち込む…あの映画があまりにも自分の幼少期と重なって気味が悪いくらい(笑)ドラえもんに出てくる空地のコンクリート土管など、今では危険だと撤去されているものがまだまだ残っていてリアルに手で触れていたギリギリの世代だと思います。中学時代はというと、すでに身長が180㎝あって、バレーボール部でエース。その大きさですから非常に目立つ生徒で、生涯最高のモテ期でしたね(笑)日本の建築や乗り物の入り口は180㎝がボーダーなので、これを越えると頭ぶつかる仕組みなんです。1年で13cmも伸びた時期があり、洗面所の鏡から日々自分の顔が消えていく、なかなか面白い体験でした。

- 社長就任までの経緯を教えていただけますか?

2003年に米国でシックス・アパートが創立した際、投資したのがネオテニーという日本のVCでした。ほぼ同時期に日本法人も立ち上がり、米国も日本も4~5人規模からスタートした会社です。弊社の商品は「Movable Type」というCMSプラットフォームと「Lekumo」というASP型ビジネスブログサービス、この2本柱です。2004年、新製品だったMovable Typeの販売開始にともない、社長の関が“ソフトの卸値”を周囲に聞いて回っている時期でした。当時独立して営業コンサルタントをしていた私が紹介され、営業サポートとしてちょっとお手伝い…と思っていたら、販売開始と共に右肩上がりに業績が伸び、忙しくて他の仕事が全くできなくなりました。ミイラ取りがミイラ状態で、翌年2005年には入社することになりました。昨年(2013年)12月に創立10周年を迎え、今年4月に創業から代表を務めていた関が米国のシックス・アパートの代表に就任し、私が日本の代表になりました。またこの機会に米国の子会社を親会社に、日本親会社を子会社にと親子逆転もさせました。

- 新社長と新体制が同時スタートしたんですね?

3年前に日本シックス・アパートがインフォコム社傘下に入った際、米国がインターネット広告へと事業転換したので、Movable Typeの権利を米国から買い取りました。2012年に日本の子会社として米国法人を再度設立し、今回その親子を逆転させてリスタート。この業界はやはり米国の方が一歩も二歩も先を行きますから、新規事業や製品企画は米国で考え、日本で開発をするという新体制を取ることにしました。

- 社内で大切にしている考え方や文化はありますか?

もともとブログが好きな人や新しいモノ好きなメンバーが揃っていて、シックス・アパートの社員としてよりもブロガーとしての方が有名な人がいるくらい、スタッフ自体の発信力が非常に強いことが弊社の特徴です。なので、その文化・雰囲気・パーソナリティは生かしたいと思っています。また、社内にあるラウンジスペースは普段は料理好きな人たちが声をかけあって手づくり惣菜を持ち寄るランチ会に使われています。本格的な料理好き男子がいるので、炊飯器でご飯を炊いたりして、NHKのサラメシにも紹介されたことがあります。その場所を使って2ヵ月に1度くらいの頻度でケータリングをして飲み会を開催しています。このfoobar(オフィスでビールや食事をつまみながらワイワイやる会)と呼ばれる飲み会は本社発祥で、あちらは毎週金曜日にやっていたようです。外資系なので皆それぞれ仕事内容が違っていたりしますが、非常に仲が良くてまとまり感があります。もともと創業者は夫がプログラマー、妻がデザイナーというカップルで、誕生日が6日違いだったことからSix [days] Apart、シックス・アパートとなった会社。仲良くワイワイと、という社風は米国でも同じでした。

- 今後の事業展開はどうお考えでしょうか?

まず米国の本格始動。そして日本シックス・アパートはアジア・パシフィック展開を目指します。中国というよりは、伸び凄まじい東南アジア方面へ。もともとの英語版を基軸にすればフィリピンやシンガポールはそのまま行けますし、中国語版も日本語版の置き換えで対応できます。

- 社長にご就任されてから変化などはありますか?

就任前日の3月31日まで、これまでのように普通に仕事をして過ごしていました。心の準備や“就任”などという大袈裟なことはあまり考えず、「何かが変わるんだろうか」と漠然と思いながら4月1日を迎えたんです。でもいざ就いてみると、やはり社長職というのは全然違いましたね。初めての朝のミーティングでは、「先頭に立って引っ張っていくというよりも、皆さんの背を押す役になります」という挨拶をさせてもらいました。私のキャラクターは“番頭型”“女房型”ですので、米国の本格展開を受けてそれをサポートするという意味でうまく機能させたいと思っています。

- 起業を志す人へのメッセージをお願いします

苦労したことや誰かとの出会いなど、自分が経験することに「無駄なことは何もない」特にIT業界は人を一人介せば、ほぼ誰とでも繋がれるような非常に狭い世界です。何気ない商談や打合せで、その時はうまくいかなくても後で効いてくることがたくさんある。例えば外資では、本社の方針が明らかに間違っているけれどトップダウンでやらざるを得ないとか、日本には合わないけどやるとか、色々あります。その時は釈然としない気持ちで取り組んで、例えそれが自分の主張通りに失敗しても、次回は意見を聞いてくれたり、フィードバックや見返りが必ずある。空回りしている感覚だったり、起業や独立でうまくいかないことも、後々無駄にはなっていないと経験上で感じています。

- 「座右の銘」を教えてください

大学卒業後に入社したトヨタ自動車は、世界一の新入社員研修をやってくれる会社だと今でも思っています。半年の工場勤務と、その後半年のディーラー勤務なんですが、「モノをつくり、売る場所に行く」ということを1年かけて体験させてくれました。自分のつくった部品でできた車を、飛び込み営業で売りに行くというのは、替え難い貴重な現場体験。トヨタ自動車創業時から語られている多くの言葉のなかでも、「現地現物主義」が私の座右の銘。その後の仕事生活でも、外資企業の本社の意見やコンサル会社の出してくる戦略などに触れる度に、「現場を見たのか」という視点を常に持ち意識できたのも、この言葉のお陰だと思います。

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